お台場

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愛媛県今治市桜井志島ヶ原

アメリカ東インド艦隊司令長官ベリーが4隻の黒船を率いて、浦賀に来航したのは嘉永6年(1853)6月3日である。鎖国日本は泰平の眠りから覚めた。松山藩では、海岸防備の強化を図り、松山の外港としての要地である三津浜に台場を築造した。また、松山藩預かり天領の越智郡桜井海岸にも台場を築造した。これらの工事は、安政2年(1855)4月より始まり、6月に完成している。さらに、野間郡方面の海防を強化するため、菊間浜村と小部村浜手の2ヶ所に台場を築造する。今治藩では、城下今治の海岸防衛のため文久3年(1863)総社川裾・城下浜・天保山脇・浅川裾の4ヶ所にお台場を築造した。この築造に当たっては、藩士・城下の町人・近郊の農民など約1500人の出役が命じられ、土俵1200俵が用意された。工事は3月から始まり、年内に落成する。松山藩・今治藩とも大砲鋳造のため、御家中はじめ領内の銅・錫類の供出や各寺院の梵鐘の微発などの触書を出している。桜井のお台場の設計については不明であるが、桜井町役場の記録によると、下図の通りである。

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