渡しの由来

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愛媛県松山市

三津浜の人々はこの渡しを「洲崎の渡し」「三津の渡し」と言い、港山の人びとは「古深里の渡し」「港山の渡し」と言っている。文明年間(1469)伊予守河野通春が湊山城主であったとき、この渡しを利用したのが始めたとも言われ、松山城主が三津を水軍の根拠地と定め(1603)ここに御船場を置き、御船手を配置(1635)してからは、その統括の下に運行されていた。寛文四年(1664)洲崎の魚市売買に御沙汰があったことにより商人などでにぎわい、また小林一茶も古深里洗心庵の句会のとき渡っている。(1795)大正の初めころまでは小舟を水竿で操り、その後手漕ぎ時代が長く続き、昭和四十五年(1970)エンジン付き渡船となった。現在正式名称は松山市道高浜二号線の一部(約80米)である。

渡しの由来

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